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鎮魂歌、死者の霊を鎮めるという事より、遺された『今この世にある』者の悲しみを癒すものなのかもしれませんね。

前回投稿直後から、思いがけず落ちに落ちて今日まで入院なぞしてしまっているのですが、何とか這い上がって参りました^^
ピザさま、猫舞さま、励ましのお言葉、有難うございます!! おら、何とか立ち上がっただ!
原因は心身共の疲労。てな訳で、ご過労様、というタイトルにしてみましたー。退院まで、あと数日。の予定。

最初、人の声が嫌、人の出す音も嫌、だから自室に籠りきって掛ける音楽も静かなクラシックを小さな音量で……などという、何ともヲトメチックな状態だったのですが、レクイエムは比較的大丈夫だった。
現代に近い作品にはかなーりかしましいものもあるのですが、ロマンくらいまでは騒がしくても疲れている人間にそれほど耳障りではない。

ちなみにバロックの前の中世・ルネサンスの音楽の和音って、かなり独特な響きですね。4度や5度の音程が最もよく使われ、3度などはほぼ出てこない。振動比がその方がきれいだから、だそうですが……マニアック過ぎるか^^;おいらもよう解らん。
ビブラートなんかもなくて、ホワイトボイスと呼ばれるまっすぐな発声法が主流。器楽でもそうです。でも、それが心に静かに染みていいんだなあ^^

『バロック』の語義は『歪んだ真珠』なのですが、かっしりした構造はこれまた落ち着く。まあ悪口なんて言う人は好き勝手言うものですから。
何でこんな話か、というと、常識とは、普通とは何ぞや、と、またしても考えさせられたから。だいぶん話がとっ散らかっておりますが、一応メインテーマはこれで行こう。

『常識』で考えると『アウトオブ普通』な人たち、その優しさに触れるにつけ、当たり前とか普通とかって何の基準で決めてんだ? と思います。ヤクザの頭のお嬢さんが学校の先生やってて、生徒をびしばしシメつつ護っていく、というお話は大ヒットしましたね。実は私もファンでした(笑)
私が接する機会の多いのはそちらの世界ではないのですが、いわゆる『普通』ではない人たち。
えい、言ってしまえ、自分もフツーではないです。えきひろーせーとか言う、何となく長崎名物とかロシア料理を思い出させるところの、疲れやすいのもそのせい。だがそれがナンダ。北杜夫も夏目漱石も三島由紀夫も、恐れ多くも私が先達とさせていただいている中島梓(栗本薫)も、みんな『オカシ』かった。そしてそれを作品のテーマにもしている。それ、何が悪いか、言うてみい。

オカシいからこそ見える境地がある、と私は思います。開き直ってるんではなしに。夢野久作の『ドグラ・マグラ』みたいなのばかりじゃない。
一番感じるのは、相手の感情に敏感で、深く思いやる人が多いなあ、ということ。自分の悲しみを相手に味わわせたくない、とばかりに笑顔をくれる。症状の軽重の関係でこちらが感じ取れない事はありますが、気を回してくれる事はかなり多い。
私の場合はドリームを見られる事はなくて、ただひたすらに疲れやすいのが困りもん、というものなのですが、それでも多少は苦労している……て己で言うな。自分優しくもないし。
でもって、相手の事を先読みして空回りするなんて失敗も多く、まあこのあたりはヤマアラシジレンマしながらちょうどいい距離感を見つける他ない。

話に戻る。フツーとはなんぢや。
答えて曰く、言わば大多数、というだけの事なんじゃあるまいか、と。フランス人には人格障害者はいない、なぜなら人格障害的なのがフランスでは当たり前だからだ、なーんていう激ノワールなジョークがあるのは、1つその証明にもなっていると思ふ。
ただ、ここに大きな問題がある。『普通』ではない、と本人ないし親が思い悩むこと。私の大っ嫌いなフレーズに、障害は個性だ、というのがあるんですが、本人あるいは親が気にして悩んでるもんを、そりゃああんたの個性だから、とか深く考えもせずに言われてみい、腹も立って当ったりめえよ。ま、状況は様々だしそのフレーズが心の支えになる人もいるとは思いますけど。アタシは嫌。

もうそろそろまとめに入ろう。
『障害』は必ずしもマイナスではない。その負荷によって得られることもたくさんあるのだ。
ま、ひと言で言うならそんな感じ。色々な矛盾を内包しつつ。
ちなみに障害の『害』の字、変えようという動きがあるみたいですね。『碍』とかひらがなのままとか。意味は変わらなくても、確かに気分的なものは多少いいかも? と言ってそのものの苦労が軽視されるとちと困りますけど。

小説で、人の心の存在が抜けたものなんて滅多にない。何かしら心に思い、噛み締める事なしには作り上げることはできない。だとすれば、感情の動きをより敏感にキャッチできるアンテナを貰ったのだ、と思おう。
障害というレッテルにばかり気を取られてその本人を見ず、疎遠になるなら、それは相手がそれだけの器しか持っていなかったという事。こちらの責任ではない。
ただ、気を付けるべきは、自分と同じ感情を相手は知らないかもしれないという事。
どうしてその行動を取ったか理解されない、発想が共有出来ないケースはままある、という事。人間関係、どこもそんなもんです。そんな至極当然の事象をあまり気に病まない事。他人が自分を分かってくれない事ではなく、自分が他人を分からない事を嘆け、と孔子も仰っておられる。


……暇なものだから、長々ずらずらと書いてしまいました(汗)
日本ラブストーリー大賞の一次選考発表、満員御礼だった為に遅れているようです。
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