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2011.10.13 ま・間・魔
「あの……」
「あの……」
気まずく黙りこくった二人が同時に口を開く、よく見聞きするシーンですね。
しかしこれ、実に『間(ま)』というものの本質をよく捉えている気がします。うん、したの、ふと。

沈黙は無ではなく、心は多様に揺れ動く。そしてその終わりもまた相手の呼吸を読み、ここぞという絶妙のタイミングを図って行われる。
だから、同じ様なメンタルテンポを持つ人とならば重なっても不思議ではない。そもそも気まずくなれる様な関係の二人、気が合ってるんでしょう。

さて、どうしてこんな話題を思いついたのか。
やはりお能の本がやらかしてくれました。またかい(笑)

間というものを極限まで追及・体感したければ、お能を観るのがいいと私は思います。おシテ、ワキ、アイ、地謡、囃子、それぞれが各々の呼吸を持つと同時に、掛け合う相手の呼吸を鋭敏に捉えてぶつかり合う。囃子の各楽器の中でも当然それはあるのですが、囃子方はほぼ横一列に並んでいて、決して全員が視界に入ってはいない……て、ピヨピヨがこんなえらそーに語れるほど底の浅い世界ではないんですがね(^-^;
でも、初心者のアタクシでもよくわかるかな、という演目があります。『道成寺』というんですが。
おシテが鐘を見つめてあまり動かなくなる、それへ小鼓が仕掛けていき、互いの気配を読みながらぱたりぱたりと進んで行く。しかし動きと音の少なさに反比例する様にものっすごい緊張感があります。うおおぉ、気配読み合ってるっ!! 感が観客にもびりびり伝わってきて、神経はあたかも自分が演じているかの様に尖っていく。それが極まって、ついにおシテは鐘の中に飛び入ってしまうのです。
『翁』を観て打ち震えたのとはまた異なる、一種独特のカタルシスがそこには感じられました。

お能の魅力っていうのはもちろん人によって感じ方が異なるのでしょうけれど、私は『道成寺』に限らず、このぴーんと張り詰めた緊張感と、その上で生まれてくる夢幻の世界がたまらなく好きです。囃子方まで含めた演者と呼吸の感じ方が完全に重なった時の心地良さ、もしかしたらそれを味わいたいがために能楽堂に足を運んでいるのかもしれません。私にはお能は音楽なのです。


さて、本日より夜のおさらいタイムが解禁です。退院でございます。いざ再び、この魔性の女のごとき芸能と戯れせん。しかし風邪が……。。
あ、日本ラブストーリー大賞、潔く散った模様(笑) また精進します。
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