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さて、そろそろ小説論やらも書かねば氷点下五十度の視線ビームが飛んできそうである。


若者の語彙貧困が取り沙汰されて久しい。
「やばい」(ええと、良い意味でしょうか、それともアタクシを批判していらっしゃるの?)とか、「むかつく」(ご気分悪くて?)とか。
しかしこれは何も昨日今日始まった風潮ではないらしい。

清少納言の『枕草子』、これは何でもかんでも「をかし」(別に甘くはないわよ?)で表現されているし、清少納言のライバル紫式部も似たり寄ったりだと言う。あれも「あはれ」、これも「あはれ」、とね。(可哀相って意味じゃないのはご存知ね? ねっ?)

でもこれは語彙貧困とかいうのも当たっていない訳じゃないけれど、日本の曖昧文化そのものではないかと思うのですよ。つまりは行間を読め、今風に言えばKYはダメよ? ってことだと思う、小生は。
……まあこの辺りは、(N)何も(H)本当は(K)苦しゅうない、という名目上お堅くて真面目なテレビ局も電波に乗せておられた。別に私の脳みそだけが受信した訳じゃないはずだ。
案外日本の文化に関する誤解って多いものにて候。あ、受信料はちゃんと払ってますからね、犬あっち行けー様。


日本人は我慢強いと言いますね、昭和世代までの昔話になりつつあるけれど。
様々な意味に取れるアイマイミーマイン……じゃないや、曖昧な表現をされる事で受け手は相手の気持ちを汲み取ろうとし、ひいては怒りなどの感情をいったんぐっと押し込めてその意味を探ろうとする、そんなところから生まれたのが我慢強いという特質なのではないかな、とは拙者のいささか不自由な頭で思考致す所にござる。武士は食わねど高井戸に用事がある(おい)。

外国文化はわりとストレートです。自分の主張を的確に表現するのが必須スキルであるし、それができないと一人前として認められない部分がある。
近頃のワカモノは大分いんたーなしょなる化しているみたいだけれど、日本人はへらへら笑ってばかりでちっとも意思表示しない、と批判される事も多かった。
でも、これって文化の違いが大きく関わっていたと思うんだよね、やつがれは。
京都の文化に最もそれが顕著に表れているのかもしれない。有名なぶぶ漬け伝説やら箒を逆立てるやら、まあ回りくどい事。実際にそれを実感するほど長逗留した事がないからこれらの真偽は分からないのだけれど、相手の事情やら心やらを慮るというのはやっぱり重要だと思うんですよね。

もちろん完全に他人の心を知る事なんてできないし、自分の想像力という神通力が通用するのは所詮自分だけ。なんだけれど、だからと言って分からねーから好き勝手してやれ、では人間失格。恥の多い生涯を送って来ました。
……って、別に諸外国が悪いと申しておる訳にはございませぬぞ、殿。ただ、それが日ノ本の国の誇る文化にございますれば、という事。

外国語や外国文化にそれこそ乳幼児期からどっぷりという教育法も最近流行っているけれど、それが全て善かと言うとそうでもないと思う訳ですよ。英語もろくに喋れない僻みか? うん、そうかもしれない。
でも、海の向こうのはっきりきっぱりさっくり文化は非常に明快で切れ味もいいから、小さい頃から接していると多分そちらを好む人の方がかなりの多数派になると思う。
常識とは十八歳までに身に付けた偏見の事である、とは誰のオコトバであったか……ほのかに漂う曖昧な雰囲気というのは歯痒い、もっと言うと、何でえこの優柔不断めが、と感じちゃうんじゃないかな? カミソリでスパっ! が常識になっていると。考える手間を省ける訳だし。


まあ平安の昔から日本で生きている蒼樹だからこう感じるんだろうけれど(生まれてくる時代を間違ったわよねー、絶世の美女だったのに……とよく言われたものです。どういう意味じゃい)、日本の幽かなものを愛でる感覚というのはこの先国際化社会になっても持ち続けていたいものアルよ。

ただ! モノカキが便利だからと言って一つの言葉ばかり多用するのは感心致しませぬな。日本語には様々に風流な言葉があるのでありんすから。
……統一感のない文体はまこと読みにくうございますなぁ。
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